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毒親のことを調べていると、たいてい答えが二つに割れています。
許さなくていい、縁を切りましょう。もしくは、許して前に進みましょう。
どちらもよく見かけるのに、どちらもしっくりこない人は多いと思います。私もそうでした。
私は母のことを、ある程度は理解しています。母の生い立ちや、母が置かれていた環境を思い浮かべれば、ああいう風にしか生きられなかったんだろうな、とは思う。仕方がなかった部分もあると分かっています。
でも、それは虐待していい理由にはなりません。
理解していることと、許していることは、まったく別です。この記事は、その間で止まっている人に向けて書きます。
理解を示すと、相手の態度は大きくなる
許しについて考える前に、実際に起きたことを書きます。
母に対して理解を示したことが、何度もあります。事情も分かる、大変だったとも思う、そういう姿勢で接した時期がありました。
結果はいつも同じでした。
理解を示した瞬間に、相手の態度が変わるのが分かります。声が大きくなって、要求が増える。こちらが譲歩したとは受け取られず、下に回ったと解釈される。
そこからまた高圧的な言い方が始まって、私が黙る。何度やっても同じでした。あの切り替わる感じが、私は生理的に受け付けませんでした。
理解を伝えても、関係は良くなりません。むしろ悪くなります。
これは私の母が特別なのではなくて、力関係で人と接することが染みついている人には、共通して起きることだと思います。譲歩は敬意ではなく、隙として処理される。
「許したら関係が良くなるかも」という期待を、まず手放す
許しについての記事を読んでいると、許すことで相手との関係が変わるかのように書かれているものがあります。相手は自分の鏡だとか、自分が変われば相手も変わるとかそういった論調は多いんですけどあれ普通の人との関係性の話かと。
私の実感では、変わりません。
こちらが許したかどうかを、相手は知りません。知ったところで態度は変わりません。むしろ伝えれば、さっき書いた通り、要求が増えるだけです。
だから、許しを相手のためにやるのはやめたほうがいいと思っています。見返りがないどころか、逆効果になるので。
そのうえで、それでも許しに意味があるとしたら、理由は一つしかありません。
許すとしたら、自分が楽になるためだけ
私が今のところたどり着いている考え方はこれです。
許すというのは、相手を赦免することではなくて、その件について自分が考え続けるのをやめることなんじゃないか、と。
言われたことを何度も思い出して、あのときこう返せばよかったと考えて、腹が立って、そんなことを考えている自分にまた疲れる。この時間が、いちばん人生を削ります。
その時間を減らすためだけに許すなら、意味があります。相手のためではなく、自分の頭の中を静かにするための作業として。
そして重要なのは、それを相手に伝える必要はまったくないということです。
伝えないなら、相手の態度は変わりません。つけ上がる材料を渡さずに済みます。許しは自分の中だけで完結させていいものだと思っています。
私はまだできていません。できたら楽なんだろうな、とは思っています。
許せない自分を責める必要もない
念のため書いておきます。
許せないままでも、まったく問題ありません。
「いつか後悔するよ」と言われることがあります。親が亡くなったときに後悔する、という話です。でも、後悔するかどうかは今の時点では誰にも分からないし、分からないことを理由に今の感情を否定する必要はないです。
許せないことに罪悪感を持つと、そこにまた考える時間を使うことになります。それは、さっき書いた「自分が楽になる」の逆をやっていることになる。
許せないなら、許せないままでいい。そのうえで、考える時間だけ減らしていく。順番としてはそれでいいと思っています。
ここからが本題です。この癖は、恋愛にそのまま出ます
ここまで母の話をしてきましたが、私がこの記事を書いている理由は別にあります。
相手の事情を理解する能力が高い人ほど、恋愛で損をするからです。
親の生い立ちを思い浮かべて、そうとしか生きられなかったんだろうと理解する。この作業を子どもの頃からやってきた人は、それが癖になります。
そして恋愛でも、同じことをします。
連絡が来なくても、仕事が忙しいんだろうと理解する。約束を破られても、あの人も余裕がなかったんだろうと理解する。雑に扱われても、悪気はないと理解する。
理解した結果、自分が受けた扱いを問題として扱えなくなります。
理解は本来いいことのはずなのに、ここでは自分を黙らせる道具になっています。文句を言う前に自分で説明をつけてしまうので、相手には何も伝わりません。
そして母のときと同じことが起きます。理解を示すと、相手の要求は増える。
連絡が減っても「忙しいもんね」と言ってあげると、もっと減ります。こちらが下に回ったと解釈されるからです。構造が完全に同じです。
理解と、受け入れることを切り離す
では、どうすればいいのか。
私が意識するようにしているのは、理解することと、受け入れることを分けることです。
彼が忙しかったのは理解できる。それはそれとして、連絡が来なくて私は寂しかった。この二つは同時に成立します。
理解したから寂しくない、ということにはなりません。理解したから文句を言う資格がない、ということにもなりません。
私たちは、理解した時点で話を終わらせる癖がついています。子どもの頃、それ以外に自分を納得させる方法がなかったからです。理解しなければ、やっていられなかった。
でも今は、理解したうえで「でも私はこう感じた」と付け足していい。付け足せるようになるまでには時間がかかりますが、少なくとも、理解した時点で終わりではないと知っているだけで違います。
この話は、周りの人にはできません
こういうことを人に話すと、たいてい行き止まりになります。
いちばんきついのは、これです。
「お母さんがそんなこと言うわけないじゃん。あなたのことを本当に思ってるからだよ」
慰めでもなんでもなく、事実の否定です。相談した結果、自分の記憶のほうが間違っていることにされる。
他にもあります。「でも親でしょ」「育ててもらったんだから」。言う側に悪気はないと思うので、責める気にもなれません。ただ、何度か経験すると、もう話さなくなります。
そして、しんどさは変わらないまま、話す場所だけがなくなっていきます。
私が結局やっていること
私がたどり着いたのは、まったく事情を知らない人に話す、という方法でした。
自分を知らない人には、前提の説明が要りません。母がどんな人か知らないので「そんなこと言うわけない」とも言われない。話したことが、そのまま事実として扱われます。それだけでかなり違いました。
私が使っているのはココナラです。もともとは恋愛のことで占いを頼んだのがきっかけでしたが、家族のことを聞いてくれる人もたくさんいます。
このジャンルで私が良いと思っているのは、声を出さなくていい選択肢があることです。
家族の話は、口に出そうとすると詰まります。話しながら涙が出て、何も伝えられずに終わる、ということもあります。ココナラにはメールのやり取りだけで完結するものがあるので、書きながら整理したい人にはそちらのほうが向いています。深夜に文章を打って、返事を待つ、という使い方ができます。
料金は占い師によって幅がありますが、メールなら1,000円台から選べます。いきなり大きな金額を使う必要はありません。
家族のことを相談するときに、私が見ているところ
10年で600人以上に相談してきたなかで、家族の話をするときの基準がだんだん固まってきました。
母を悪者にしてくれる人を選ばない
「お母さん、ひどいですね」と言われると、その瞬間は気持ちがいいです。でもそれだけで終わる人だと、また同じ話をしに行くことになります。何度も。
「許しましょう」と最初に言う人も避ける
許せないことに苦しんでいるのに、許しをゴールに置かれると行き場がなくなります。許すかどうかは自分が決めることです。
過去の説明ではなく、これからの話をしてくれる人
私に効いたのは、過去を分析してくれる人ではありませんでした。今の自分が何を選べるのかを、一緒に考えてくれる人でした。
プロフィールに「家族」「親子」と書いてある人を選ぶ
恋愛専門の先生に家族の話をすると、噛み合わないことがあります。得意分野は書いてあるので、そこを見て選んだほうが早いです。
おわりに
私は今も、母を許していません。
理解はしています。ああいう風にしか生きられなかったんだろうと思うし、そこに同情もあります。でもそれは、私がされたことをなかったことにする理由にはなりません。
たぶん、この状態のまま続いていくんだと思います。許せる日が来るのかどうかも分かりません。
ただ、一つだけ変わったことがあります。
理解した時点で話を終わらせる癖に、自分で気づけるようになりました。相手の事情が分かったあとに、「でも私はこう感じた」を付け足せる回数が、少しずつ増えています。
許せなくても、そこだけは変えられます。恋愛でも、それができるかどうかで扱われ方が変わります。
同じところで止まっている人がいたら、まずは事情を知らない誰かに話してみてください。
※この記事は個人の体験に基づくものです。心身の不調が続いている場合は、医療機関や公的な相談窓口の利用も検討してください。厚生労働省の「まもろうよ こころ」では、無料の相談先が案内されています。

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